市川高等学校のちょっといい話
本田宗一郎さんの役割
今日は、本田宗一郎という人についてお話しします。
本田宗一郎さんは、車やバイクを作る本田技研工業の創設者です。
小さな町工場から、世界のホンダと言われるまでになった会社をつくった人です。
本田さんは明治39年、静岡県天竜市に生まれました。
そして、ちょうど皆さんと同じ歳の頃に東京の自動車修理工場に就職します。
当時の町工場では、「でっち奉公」といって仕事はなかなかさせてもらえないんです。
毎日掃除や子供のお守りをさせられて、1年半ほど我慢してようやく仕事をさせてもらえるようになりました。
本田さんは、仕事をさせてもらえることが楽しくて楽しくて仕方なかったようです。
そして、技術者として腕を上げ、信頼されるようになった19歳の年にある出来事がおこりました。
岩手県の盛岡市で消防車が故障し、その修理に行くよう社長から言われたのです。
当時は消防車の数も少なく、故障を直せる人がいないため、東京の工場に依頼が来たのでした。
しかし本田さんが盛岡に到着した時、出迎えた消防署員の顔には失望の色が浮かんでいました。
「こんな小僧に消防車が直せるのか。」
消防署員の気持ちを察した本田さんは、黙って修理に取り掛かりました。
本田さんは消防車をバラバラに分解し、消防署員たちを心配させましたが、翌日には見事に修復して見せました。
消防署員からは、「さすがは東京から来た技術者だ!」と、深々と頭を下げてお礼を言われました。
さらに旅館に帰ると、消防署長以下10名が大広間で出迎え、ごちそうで接待を受け、「先生」と呼ばれ、消防署の人たちの喜びが伝わり嬉しく思いました。
次の日の朝、本田さんは考えました。
「技術というのは、本当にすごいものだ。これまで、でっち奉公で下働きの苦労はあったけれど、その苦労があったから技術を身につけ、たくさんの人が喜んでくれた。これから自分は、技術によって人を喜ばせ、世の中の役に立っていこう。」
本田さんは、お金儲けの為に働くのではなく人に喜んでもらうために技術を磨いていこうと努力したことから、今日の大きな成功に結び付いたのだと思います。
生徒の皆さん一人ひとりにも、必ず役割があります。
(人に喜んでもらうために)自分の役割は何か。
それは、自分のやるべきことに真剣に取り組んでいれば必ずわかります。
まずは中間考査に向けて、自らが準備をするように意識してみてください。
今皆さんに大切なのは、自分のやるべきことに一生懸命取り組むということです。
そうすると、必ず幸せな人生を歩めます。
皆さんが、少しでも早く自分の役割に気付き、何事にも一生懸命に取り組んでくれることを期待しています。