釈迦牟尼佛 (禅堂)
仏教の開祖であり、紀元前7世紀-5世紀頃実在した人物。
釈迦族の王シュッドーダナの子として、現在のネパールのルンビニーにあたる場所で誕生した。王子として裕福な生活を送る一方で、老病死について深く悩み王宮を出奔(出家)。6年間の苦行の末にこの無意味さを自覚し、菩提樹の下に鎮座する。12月8日、明けの明星をみて正覚し、仏陀となった。以来、自らの悟りを多くの人々に伝道して廻り80歳でその生涯を終えたとされている。
本校に禅堂が完成した当初より、数十年にわたって生徒たちが一生懸命に坐る姿を見守り続けている。
不動明王 (武道館1階・2階)
大日如来の化身、あるいはその内証(内心の決意)を表現したものであるとされ、「お不動さん」の名で親しまれている。煩悩に迷い悟りの道から離れた人々を慈悲の怒りをもって救う仏であり、このため憤怒の形相で表される。
釈迦が成道の修行の末、悟りを開くために「我、悟りを開くまではこの場を立たず」と決心して菩提樹の下に座したとき、世界中の魔王が釈迦を挫折させようと押し寄せ、釈迦に問答を挑み、あらゆる手段をもって誘惑したところ、釈迦は穏やかな表情のまま降魔の印を静かに結び、魔王群をたちまちに説破し、超力で降伏したとされている。不動明王はその際の釈迦の内証を表現した姿であるとも伝えられる。穏やかで慈しみ溢れる釈迦も、心の中は護法の決意を秘めた鬼の覚悟であったというものである。
観世音菩薩 (中庭・卓球場・運転手控室)
様々な困難にあっている衆生が観世音菩薩の名を唱えれば、その声を聞き取りあらゆる苦しみから救い出してくれると説かれ、観音経などに基づいて広く信仰・礼拝の対象となっている。
菩薩とは、「菩提薩埵」を略したもので、「悟りを求める者」との意味をもつ。もともとは釈迦如来の修行時代を指すものであったが、大乗仏教が発展していくなかで全ての人間は如来(真理に到達した者)に成りうると考えられるようになり、悟りを求めて精進する者、如来の前段階の存在を指すようになった。
中庭の観音菩薩像の台座には、歴代卒業生の写経が納められている。
十一面観世音菩薩 (事務室)
その深い慈悲により衆生から一切の苦しみを抜き去る功徳を施す菩薩であるとされ、女神のような容姿に造られたものが多い。
世の中のあらゆる人々を救うため全ての方向に顔を向けているとされ、その名の通り十一の仏面を頂く姿で表わされる。頭部正面には阿弥陀如来の化仏を頂き、慈悲の心を向ける菩薩面、悪しき行いを怒り正す憤怒面、仏道へいざなう狗牙上出面、後頭部には怒り極まり大口を開けて愚かさを笑い滅する大笑面を頂き、頭頂部には悟りの境地をあらわす如来の顔を頂く。
毘沙門天 (野球部監督室)
別名、「北方多聞尊天」とされ、いずれも「すべてのことを一切聞きもらすことのない知恵者」を意味する。右手に宝塔、左手に宝棒を持ち、鎧を着込んだ武将姿が一般的で、軍神・武神として祀られるが、本校では右手にボール、左手にはバットを持つ。戦いの神様であると同時に北方の守護神であり、本校最北に位置する第一グランドを見つめる。
文殊菩薩 (第一直心寮・第二直心寮)
智慧を司る菩薩として広く親しまれ、普賢菩薩とともに釈迦三尊として祀られる。
獅子の上に置かれた蓮華座に座り、右手には研ぎ澄まされた智慧の剣を、左手には経巻を持つ。これは「騎獅文殊」と呼ばれ、獰猛な獅子の上に乗ることで智慧の力の強さを表すとされる。一日の終わり、点呼の時間には寮生による読経がおこなわれている。
普賢菩薩 (温水プール)
究極の慈悲を司る菩薩として親しまれ、文殊菩薩とともに釈迦三尊として祀られる。
普賢菩薩は6本の牙をもつ白象の上に乗っているが、これは白象に乗った普賢菩薩が高い神通力と威徳によって数え切れないほどの菩薩を引き連れて、東方から釈迦如来の元を訪れたときの様子を表したものとされる。そのやさしい眼差しは、本校の生徒とともに、水泳教室の子供たちを見守る。
跋陀婆羅菩薩 (中央廊下浴室・第一直心寮浴室)
首楞厳経に、16人の菩薩が風呂の供養を受けた際、跋陀婆羅菩薩を始め菩薩たちが忽然として自己と水が一如であることを悟ったことが記されている。禅宗では日常の立ち居振る舞いすべてが修行の場となる。本校での浴室利用は坐禅錬成の時のみであるが、入浴中もまた、大切な学びの時間であることを忘れないでいただきたい。
烏枢沙摩明王 (トイレ)
天界の「火生三昧」とよばれる炎の世界に住み、人間界の煩悩が仏の世界に波及しないよう聖なる炎によって煩悩や欲望を焼き尽くす。
便所は古くから「怨霊や悪魔の出入り口」と考えられていたため、神社やお寺のトイレにはこの明王の名前や姿が描かれている。トイレの神様ならぬ、トイレの仏様である。本来は火の神で、火の力で汚れたものを浄化するといわれている。